【本】死の家の記録
ドストエフスキー『死の家の記録』
五年以上前にさらっと読んだのをもう一度ちゃんと読み直してみた。
主人公、アレクサンドル・ペトローヴィチは、貴族出の移住囚。
10年の刑期を務め上げ、小さな町でひっそりと暮らしていた。
人付き合いのほとんどなかった彼が書き溜めていたノートが、彼の死後発見される。
それは、アレクサンドル・ペトローヴィチが耐え抜いた十年間の獄中生活の記録であった。
元貴族が民衆の中に入って信頼を得ることほど難しいことはない。
たとえ、信頼を得ることができたとしても、貴族出の囚人が他の囚人から仲間として認められることは、決してなかった。
アレクサンドル・ペトローヴィチは獄中で彼らとどのように接すればいいのか…。
彼は次のような方針を立てた。
①彼らの脅しや憎悪を恐れず、できる限り気づかないふりをする。
②取り入ったり、機嫌を取ったり、無理に近寄ろうとしない。
③先方から近づきたいと思うなら拒まない。
彼は上っ面に惑わされず、偏見を捨て、じっくりと一人一人の人柄を見ようとする。
見下さず、卑下もせず、人間を真横から見つめる。
私の目指すところでもあるけど、実際にその視点を取り続けることは、難しい。
民衆の態度がどうであれ、彼は関係を閉ざさず、彼らをじっと見続ける。
そして彼は、彼を憎悪し軽蔑する民衆の内部に、彼の心を和らげてくれるものがあることに気づく。
一番印象に残ったのは、監獄内での演劇鑑賞で、民衆が彼に一番いい席を勧める場面。
普段見せる憎悪や軽蔑をよそに、芝居に関しては彼らのうちで彼が一番見る目があることを潔く認める素直さ。
そんな、民衆の公正さに彼は感動する。
彼が特に愛したのは、人間の人間らしさ。
怒りっぽくわがままな男に我慢ならず、袂を分かつことになっても、彼はその男を愛することをやめられない。
その反対に、自制力があり尊敬できる男であっても、その男が他人に心の内を見せないという理由で、どうしても彼はその男を愛することができなかった。
他人との関係を拒絶する人に、人間らしさを感じないのは、ドストエフスキーの愛が、相手をじっと見つめ、心を開くことに基づくからだろう。
もうひとつ、私が気に入ったのは、次の部分。
「出所前の数年、私は未来の全生活の計画を作り、絶対にそれを守ることを決意した。私の心の中にはそれを完全に実行するし、またできるという盲信が生まれた。青春の、力に満ち溢れた数年を獄中で送ることになったら、誰でもこれと同じ思いをするに違いない」
ドストエフスキーが政治犯としてシベリアで獄中生活を送ったのは、28歳から32歳にかけてのこと。
彼自身も当時、このような思いを抱いていたのかもしれない。
彼は獄中生活を基に、様々な題材を得、それを後の創作活動の糧にした。
転んでもただは起きぬという貪欲さは、私も見習いたいところ。
獄中生活を通して堅持し続けた、人間の暗部に真摯に目を向ける態度は、きっと他の著作にも表れているのだろう。
ドストエフスキーの小説を、他にもたくさん読んでみたい。