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【本】編集者T君の謎

『編集者T君の謎』 大崎善生 (講談社文庫) 

将棋世界』という雑誌の編集長を務めた著者が、将棋業界の人びとについて書いたエッセイ。 
ユニークな人たちが登場して、将棋のルールを全く知らなくても楽しんで読める。 

序盤から時間を使って考え込む、加藤一二三。 
休憩時間に相手側から盤を眺める癖があるそうなのだが、いつも通り相手側に立って加藤が睨みつけている局面は先後同型。
どっちから見ても同じものをわざわざ相手側に立って睨み続けるのはいったい何のためなのか…。 
こういうエピソードがぽんぽん飛び出して面白い。 

『聖の青春』『将棋の子』を読んだ時と同じく、この本でも将棋界の人間の魅力を感じたのだけど、特に谷川浩司の魅力が際立っていた。 

エビ・カニ嫌いで有名な谷川が、母の前ではエビフライも口にする。 
周りの人に驚かれて、「家では母に叱られますから」と首をすくめる姿がたまらない。 

対局場のホテルで夜中に酔っ払い、知り合いと二人でホテルのピアノを弾いて遊んでいた大崎善生。 
「7階のお客様が、ピアノをやめてくれと…」とホテルのマネージャーに制止されても、酔っ払いの勢いは止まらない。 
耳を貸そうともしなかった二人だが、「そのお客様、『谷川浩司ですが、』とおっしゃっておりましたが…」というマネージャーの言葉に、酔いも一気に醒める。 

将棋タイトル戦の主催者は、対局者に万全の状態で対局に臨んでもらうためには、どんなことでもするらしい。 
そんな中、翌日に対局を控えた棋士の睡眠を妨げるとは…。 

しかも当日、昨日の酒でのどが渇いて仕方ない大崎は、対局中の谷川の水を勝手に飲んでしまう。 
対局室が凍りつく中、(困ったおっさんや)という眼差しを大崎に向ける谷川の優しさに人柄が表れる。 

一年間に作られた最も優秀な詰将棋に対して与えられる看寿賞。 
谷川も詰将棋を創るのが好きで『詰将棋パラダイス』に毎月のように投稿しているそうなのだが、一度もこの賞を取ったことがないらしい。 
それを聞くと、この賞が凄い賞なのだということがよくわかる。 

この賞を受賞した女流棋士に対する谷川のコメントがすごくいい。 

「自分が女流棋士だから選ばれたのではないかと気にする真面目な彼女に、『胸を張ってもらえば良いですよ』と答えたが、看寿賞の特別賞しか私は頂いたことがないので、正直羨ましい気持ちもある。」 

人間の大きさを感じさせるコメント。 

何だか谷川さんのことばかり書いてしまったけど、人生を懸けて将棋を指す人たちは、孤独で、気迫があって、潔くて、気高い。 
これですっかり将棋ファンになってしまいそうだ。