【本】夫婦善哉
『夫婦善哉』 織田作之助(新潮文庫)
十七で芸者になった蝶子が客として店に通っていた三十一歳の柳吉と夫婦になるのだが、柳吉には妻と四歳になる娘がいた。
蝶子と駆け落ちした柳吉は、奥さんと別れ、実家には勘当され、子どもは柳吉の妹が引き取ることになった。
柳吉の父親は蝶子のことをよく思っていないし、二人のことを夫婦として認める気もない。
蝶子は、柳吉の父親に悪く言われても、「私は何も前の奥さんの後釜に座るつもりやあらへん、柳吉を一人前の男に出世させたら本望や」と自分に言い聞かせ、貯金と仕事に精を出す。
柳吉は二十歳になった蝶子を「おばはん」と呼び、彼女の稼ぎを当てにして遊び暮らす。
ちょっと働いてみたりもするのだけど、困れば実家に頼ればいいという魂胆があるので、本気になって仕事をすることもない。
蝶子の親は柳吉が勘当されて子どもとも会えないのは蝶子のせいだと、柳吉に同情的だ。
自分の甲斐性を頼みにドシっと腰を据える蝶子は見ていて気持ちがいいのだが、そんな様子が柳吉には気に入らないようで、彼はますます羽目を外して遊ぶ。
そんなものだから、蝶子が爪に火をともすようにして貯めたお金もあっという間に消えてしまう。
貯めては使われ、貯めては使われの繰り返し。
読んでいると、「そんな思いをしてまで何でこんな男と一緒にいたいんや?」「いっそ一人になった方が楽しく生活できるんやないか?」という気になってくるのだが…。
柳吉は食い意地が張っている。
蝶子が芸者をやっていたころ、柳吉が「一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話」と言って食べさせてくれたのは、夜店のドテ焼、粕饅頭、どじょう汁、まむし、関東煮など。
決して高価なものではないが「ど、どや、うまいやろが」と柳吉がどもりながら講釈をたれる横で食べる物はどれもうまかった。
蝶子は柳吉と一緒に暮らすようになってからも、柳吉が「『おぐらや』の昆布と同じ味になる」と言いながら一昼夜かけて昆布を煮る姿に恋しさを感じたり、散財して帰ってきた柳吉を折檻した後に一人で自由軒のカレーを食べに入って、柳吉の「ここのライスカレーはご飯にあんじょうまむしてあるよって、うまい」という言葉を思い出したりする。
一人ではカレーを食べに行ってもちっとも楽しくない。
晴れて夫婦として認められることを目標に頑張る蝶子に対して柳吉はあまりにも頼りなく、これでもかという程蝶子の努力を踏みにじるのだけど、苦労続きの十年間で蝶子がげっそり痩せるかと思いきや、逆に肥満していく姿が頼もしい。
三十になった蝶子にも妾の誘いはあるのだが、彼女はそれをかわしてひたすら柳吉に添い遂げる。
世間に認められなくたって、この二人は立派な夫婦だ。
二人が「めおとぜんざい」という店で二つの椀に入った善哉を食べている時に、柳吉がまた講釈をたれる。
「一杯山盛りにするより、ちょっとずつ二杯にする方がぎょうさん入っているように見えるやろ」
それに対して蝶子が「一人よりめおとの方がええということでっしゃろ」と返すセリフがいい。
座布団を隠してしまうほどの大きなお尻が、三十歳になった蝶子の貫禄を表わしている。
他に五つの短編が入っているのだけど、どれもよかった。