There's a place where I can go

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【映画】いつか読書する日

いつか読書する日』 2005年 日本 
監督:緒方明 脚本:青木研次 

大場美奈子は15歳の時に「ずっとこの町で生きていこう」と決めて、その思いを作文に書いた。50歳になった彼女は、作文の内容通り、生まれ育った町で今も生活している。早朝に牛乳配達をして、新聞を読みながら朝食をとり、昼はスーパーでレジを打つ。時々、おばさん(母の友人)の家で一緒にご飯を食べてビールを飲む。一人で過ごす夜は本を読みながら眠って、眠れない夜にはラジオを聴く。 

田中裕子が演じる大場美奈子の生活は、私にとって理想の生活。「判で押したような、はたから見て何が楽しいのかわからない生活」と作品の中で言われてしまうのだけど、天井までの本棚に本がぎっしり詰まった部屋でひっそり暮らすのは楽しそう。牛乳瓶を入れた鞄を提げて石段だらけの坂の町を走るのも気持ち良さそうだった。牛乳を配りながら見晴らしのいい場所へグングンのぼっていって、町や町の人たちの様子を肌で感じることのできるこの仕事を彼女が「生きがい」と表現するのもよくわかる。 

長崎で撮影されたそうなのだけど、方言は一切出て来ないし、この町が長崎であることを示す描写もない。そのせいで魅力的な風景をもつこの町が架空の町のように思われて、現実なのか非現実なのかよくわからない瞬間が生まれる。「児童虐待」「認知症」「自宅療養」「不倫」といった現実的な問題を扱いながら、「カレー小僧」という空想的な存在が出てきたりして、現実と非現実とが絶妙なバランスで織り交ぜられている感じがした。坂が多くて先が見通せない町はファンタジーにぴったりだし、住みやすいとは言いづらい地形だからこそ人間の営みの現実的な部分が生々しく伝わってくるのかもしれない。 

淡々と何の不満もなく生きているように見える大場美奈子だけど、彼女には隠し事がある。彼女は高校生の頃に付き合っていた高梨槐多(かいた)という男を今でも思い続けている。事情があって二人は疎遠になり、槐多は別の人と結婚してしまった。槐多を演じるのは岸部一徳。彼もずっと同じ町で暮らしていて、彼の家にも彼女は毎日牛乳を配達する。二人とも積極的に言葉を交わすことはないのだけど、何度となくすれ違い、いつもお互いの存在を感じながら、数十年に渡って静かに相手を思い続けている。田中裕子と岸部一徳はそんな役を演じるのにぴったりの二人だった。 

50歳の大場美奈子が十代の少女のように見える瞬間が何度もあった。自分の決めた通りの人生を着実に間違いなく歩んできた彼女の中に、少女のころのまま止まってしまっている部分が窺えると、そのたびに何ともいえない気分になるのだけど、そんな瞬間の彼女が魅力的だった。おばさんのうちでビールを飲みながらお喋りをするシーンで、ソファーの上に膝でよじのぼる様子が特に可愛かった。私の目に「少女っぽさ」として映ったものは、「変えようとしても変えられないものを密かに抱え続ける強さ」や「歳を重ねても不慣れなままでいられる強さ」なんじゃないかなって思った。この感じを出せる田中裕子は本当にすごいと思う。 

彼女が夜中にダイニングテーブルでラジオへの葉書を書くシーンも好きだった。彼女が書くのは自分の恋の話。自分の変わらぬ思いを知って欲しいと思う時もあれば、知られてはいけないと思う時もある。そんな葛藤を繰り返してきた30年以上の年月がこのシーンから窺えて切なかった。彼女がリクエストする曲はPaul Williamsの “Rainy Days and Mondays” 

この映画にピッタリの歌詞で、次の部分を聴いて、大好きなシーンを思い出した。 

“Nice to know somebody loves me. Funny but it seems that it’s the only thing to do. Run and find the one who loves me.” 
認知症を患ってふらふらと出歩いてしまったおばさんの旦那さんをおばさんが必死で探し回る。おばさんの声を耳にして事態に気づいた大場美奈子もおばさんと手分けして町中を走り回る。高梨槐多もおじさん探しに協力してくれた。おじさんが見つかったことを知らせるために大場美奈子が高梨槐多を探しにいって、橋の向こうにいる彼を見つけて、大声で呼ぶシーン。「高梨さーん!!」と呼ばれて振り返らない彼に「槐多―!」って呼びかけるシーンがすごくいいのだけど、“Rainy Days and Mondays”の上にあげた部分の歌詞を聴いて、このシーンを思い出した。音楽と映画が上手くつながるのって、いいな。


未婚のまま50歳になる大場美奈子も、シングルマザーのレジ仲間も、奥さんが病気で亡くなってしまう高梨槐多も、みんな一人で暮らすことになる可能性を持っている。失恋したレジ仲間から「ひとりで寂しくない?」と聞かれた大場美奈子が「大丈夫。クタクタになればいいのよ」って答えるシーンが好き。彼女を心配したおばさんが「これからどうするの?」と聞いた時に「本でも読むわ」って答える彼女も最高だった。