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【本】麻原彰晃を信じる人びと

大泉実成 『麻原彰晃を信じる人びと』

オウム内部で、教団の関与した犯罪行為はどのように受け止められていたのだろうか。 

不思議なことに、サリン事件後も一般信者が次々に脱会するようなことはなく、淡々と修行が続けられていたそうだ。 
オウムバッシングにも関わらず信者がなかなか脱会しないのは、信者の一人一人が自分の神秘体験に自信を持っているためらしい。 

確かにテレビや新聞の情報より、自分が直接体験したことの方がリアリティはあるけど、その神秘体験というのはいったい何なんだ?? 

ということで、実際に神秘体験をすべくオウムの修行に参加したノンフィクションライター大泉実成が、オウムでの修行体験と信者へのインタビューをまとめたのが 

麻原彰晃を信じる人びと』(大泉実成) 

大泉氏は、オウムの道場で修業に励み、クンダリニー覚醒とやらを目指す。 
修行の内容は、ヨガと呼吸法と瞑想を組み合わせたもの。 
大泉氏は、強く速い胸式呼吸を繰り返すことによって、背中が熱くなったり、光が見えたり、目の前に麻原の像が浮かんだりしたそう。 

医学的に分析すると、過呼吸や低酸素状態で脳内麻薬が分泌され、幻覚症状を起こしたとのこと。 
脳にはあまりよくないらしい。 

大泉氏によるとオウムの信者は「修行系」と「帰依系」の混合型だそう。 

つまり、麻原彰晃は神秘を経験させる指導者でもあり、ハルマゲドンを予言する予言者でもある。 

信者は予言が外れても「それは修行のためだ」と言う事ができるし、修行により神秘体験を得られなくても「ハルマゲドンがくれば…」と期待することができる。 
言い訳が巧みに用意されている程、宗教としては高度と言えるらしい。 

オウム真理教が犯罪行為に走ったのは、唯一の神秘体系にすべての人を巻き込もうとしたためだと考えられる。 

人は生きている以上何らかの価値観に依拠しているわけで、その価値観が自分以外の誰からも認められなければ、それは拠り所としての機能を果たさない。 

かといって、自分の価値体系を絶対的なものとして、他者を組み込もうとすれば、暴力的にならざるを得ない。 

【自分とは違う価値体系で生きる人間が存在する】ということを無視する暴力性を見ていると、「絶対的に正しいものなんて存在しない!」と主張したくなる。 

でも、絶対的な正しさを否定してしまえば、私の意見の正しさを証明する方法がなくなってしまうわけで…。 

この矛盾をどう解決していいのか分からないけど、少なくとも私は、【自分とは違う価値観を持つ人間の存在】を無視しないように気をつけよう。 

これがなかなか難しい。 

「僕らの中にも麻原彰晃は眠っているかもしれない」と大泉氏は言う。 

これは【誰にでもサリンを撒く可能性がある】という意味では決してなく、【私たちの中にも、自分の価値観を絶対的なものと考え、時には理屈をこねてまでそれを正当化し、胡坐をかいて安心しきる傲慢さがある。】という意味だと思う。 

公安には、今後のアーレフの動向についてしっかり見張ってもらうとして、私は、【自分の中の麻原】をよく見張っておこう。