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【本】あのひととここだけのおしゃべり

『あのひととここだけのおしゃべり』 よしながふみ太田出版

よしながふみと漫画家さん、作家さんたちの対談集。作り手でありながら熱心な読み手でもある人たちの話を、隣で聞いているようなつもりで読んでいけるのが嬉しい。登場するのはやまだないと福田里香三浦しをんこだか和麻羽海野チカ志村貴子萩尾望都

特に三浦しをん羽海野チカが登場する章が印象に残った。

三浦しをんよしながふみの対談では、二人が作り手として「どんな風に読者に読んでもらいたいか」という話をしているのが興味深かった。「自由に読んで欲しい」そうだ。自分が全く意図していない読み方をしてくれる人がいたり、とんちんかんなことを言う人がいても、そのことがむしろ救いになるというところが面白かった。自分が駄作だと思っているものでも、みんなからつまらないと思われてしまったらさすがに辛いというのはよくわかる。評判がよすぎても怖いし、好きな人も嫌いな人もいる状態が一番いいんだろうな。

「自分が意図した通りに読んで欲しい」とか「自分についてこられる人だけがついてくればいい」という考え方もあるのかもしれないけれど、そんな風にならないところがこの二人の魅力だと思った。二人の作品を読んでいると、みんなから好かれるために色を薄めてしまっているわけでもないし、届くべき人には確実に届くように勝負をかけているのがわかる。だけど「届く人にだけ届けばいいや」っていう閉ざした感じもしない。わからない人もわからないなりに楽しんで読めてしまうところに懐の深さを感じる。

私は二人の書く作品に出てくる《精神的に大人な人たち》が好きなのだけど、それは間違いなく作者であるこの二人が精神的に成熟しているところから出ているんだと思う。

読者に対しては「好き勝手なことを言ってくれていい」という二人だけど、自分たちが読み手になる時には、愛情深くて分析的なところを見せる。自分にとっての「合う・合わない」だけで、作品を切り捨ててしまうことはしない。これが読み手としての矜持だと私は思う。

「自分が意見を表明する時には常に誰かを傷つける可能性がある」ということに対して意識的なところも、精神的に大人であることの証拠だと思った。よしながふみ三浦しをん羽海野チカも漫画を自分を肯定してもらうための道具として読んでいるわけではないのだけれど、「読者の中には自分の価値観を否定するような世界を見せつけられるのが嫌な人もいる」というのを念頭に置いている。だから、自分の目に触れるところに自分の作品に対する悪口が書かれていたら、自分の提示した世界が誰かにとって受け入れがたいものだったり、誰かを嫌な気分にさせてしまうものだったんだなって思うそうだ。その辛さは「自分の人格が否定された」っていう辛さとは全く違うと言っていた。

これは作品を作る人間じゃなくても日常的に感じることだなって思う。「自分の意見が誰かにとって不愉快なものであるかもしれない」ということからはどうしても逃げられない。そこから逃げようと思えば、意見を出す前にどんな意見が周囲に受け入れられやすいかを正解をはじき出すように計算しなければならなくなってしまう。それでも誰かを傷つける可能性をゼロにしてしまえるわけではないし、そうすることで自分から離れて行ってしまう人も出るだろう。誰かを傷つける可能性が自分にあることを引き受けようとしないことは、誰かを傷つけてしまうことそのものよりもタチが悪い。誰かを傷つけることを恐れながら、それでも自分が嫌われる可能性を引き受けて勝負をかける。そうすることでしか手に入らないものや見えないものも確かにあるなって思った。

羽海野チカよしながふみに初めて会った時、「適当なことをTPOに合わせてしゃべってたら、この人の心のドアは開かない」と思って勝負をかけたっていうエピソードが面白かった。よしながふみにはその誠実さがちゃんと響いて、それをきっかけに二人の関係が深まったからよかったけど、これはなかなか勇気のいることだ。二人の関係は本当に羨ましくなるほどいい関係で、二人の話を聞いていて「この人たちめちゃくちゃかっこいいな」って思うところがいくつもあった。

よしながふみが数年前の自分の態度を反省して、当時の担当さんに改めて話をしに行ってお礼を言ったというエピソードには驚かされてしまった。担当さんが自分の名前でドラマの現場に差し入れをしてくれていたことに対して、その度に「ありがとう」と言っていたものの、数年後羽海野チカの話を聞いたのをきっかけに、自分のお礼の言い方が担当さんの行為に見合うだけのものではなかったと思ったらしい。数年経ってから「自分のしたことがベストではなかった」と思い至ったとしても、たいていの人は「自分はそんなに間違ったことをしたわけでもない」ってところに話を落ち着けてしまうだろう。自分のダメだったところを率直に認めて行動できてしまうところが、よしながふみのかっこいいところだなって思った。

羽海野チカは《生き延びれば自分に合う場所へ辿りつける事もある》っていうのを漫画を通して伝えたいそうだ。それが自分の使命だと言っていた。よしながさんが「人の生き方は漫画に出てしまうから、自分が人間としてどう生きるかは大切」という話をすると、羽海野さんが「『ハチクロ』は《何があっても最後は前向きに》という話にしようと思っていたから、6年間ずっと自分が前向きでいなきゃいけなくて大変だった」と言う。「6年間ずっと前向き」っていうのにちょっと笑ってしまったけれど、こういう一貫性がいいなって思う。自分の中にはっきりと書きたいテーマがあって、漫画と本人の言ってること、考えてることに違いがない人っていうのは最高にかっこいい。そういう人がみんなから好かれるわけじゃないっていうのはよくわかるけど、私はこれからもこういう人たちの書く作品を読みたいと思うし、こういう人たちがいてくれて本当によかったって思う。