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【本】聖の青春

『聖の青春』 大崎善生 

重い腎臓病を患いながら、名人を目指す棋士村山聖(さとし)。 

病気の弟子のために、パンツも洗うし、少女漫画も買いに走る、愛情溢れる師匠、森信雄。 

この二人と同じ部屋で眠ったり、一緒にご飯を食べることもある仲だった将棋雑誌の元編集長、大崎善生が描くノンフィクション。 

村山聖の将棋に対する情熱、息子を支え応援する両親、師匠やライバルとの関係が魅力的に描かれ、将棋について全く知識のない私も、夢中で読んでしまった。 

村山は13歳で広島の実家を離れ、大阪の森のもとへ。 
森は一目で村山を気に入り、弟子にすることに決める。 
森は、村山の人間的な魅力を次のように語る。 

心の底にどっしりと横たわっている純粋さ。 
人生に対する怜悧な視線。 
人間や社会に対するシニカルさと、それと反対の好奇心。 
利口そうに振舞おうとしても正体を現してしまう人のよさ。 

そんな村山と、師匠森との奇妙な二人暮らしが始まる。 

将棋界というのは本当に厳しい世界。 
プロでもアマでもない奨励会員に収入はなく、将来の保証もない。 
さらに、21歳で初段、31歳で四段など、厳しい年齢制限が立ちはだかる。 
年齢制限がクリアできなければ退会。 
精神的な重圧から、不眠、腹痛、嘔吐に悩まされることは、奨励会在籍者にとって珍しくない。 

この厳しい世界で、命がけで将棋を指す村山の姿は、読むものに《生きることは、夢を追うこと》なのだと思わせる。 
《苦しいことを避けながら要領よく生きること》よりも《どんなに苦しくてもこれだけは諦められないと言える何かを見つけて、生きること》の方が幸せなのだということに、改めて気付かされる。 

村山は「腎炎・ネフローゼ児」を守る会の機関紙に次のような文章を載せる。 
「将棋は頭のよさではなく、精神力の強さを競うゲーム。負けるかもという感情は勝負の邪魔になる。目の前の一局に全力を尽くし、負ければまた次の一局に全力を注ぐ。」 
「痛みや苦しみは主観的なもの。だから人の痛みを真に理解することはできない。哀れみや同情もない。そういう意味で、人は常に対等。」 

鮮明に生きる村山らしい言葉。 

人間の強さを見せつけられる一冊。