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【本】お葉というモデルがいた

『お葉というモデルがいた』金森敦子 

竹久夢二伊藤晴雨藤島武二。 

タイプの違うこれらの画家のモデルを務めた佐々木カ子ヨ(かねよ)【お兼】。 
彼女は夢二につけられた【お葉】という名で一般に知られる。

大正という時代、女性の裸体を芸術的な美意識で見るという感覚が日本にはまだ浸透していなかった。 
そのためモデルのなり手は少なく、美術学校は常にモデル不足だった。 

給金につられ、モデルとして美術学校に赴いたお葉は、モデルという職業を自分の天職だと感じる。 

美術学校の学生達には妹分のように可愛がられ、精一杯の背伸びをして作り話をするものだから、いつの間にか「嘘つきお兼」と呼ばれるように。 
この仇名は決してお葉を蔑むものではなく、好意的なものであった。 
この頃お葉は13歳。 

お葉は美術学校のモデルだけでなく、個人のモデルも務める。
お葉が藤島と出会ったのが、藤島が50歳の頃。 
お葉にとって藤島は父親のように甘えられる存在だった。 
恋愛問題の相談をすることもよくあったらしい。 

責め絵画家、伊藤晴雨との出会いはお兼13歳、晴雨35歳の時だった。 
モデルを静物として描くのではなく、お葉の内面をも抉り出そうとする晴雨の視線にお葉は満足する。 
流産で産婦人科に入院するまでの三年間、お葉は晴雨のモデルを務める。 

退院後、モデルとしてお葉が紹介されたのが竹久夢二だった。
夢二が描くのは、生身の女性ではなく想像上の理想の女性。 
モデルに向ける視線も表面をすべるだけで、モデル自身の個性を削ぎ落として自分好みの女性を作り上げていく。 

それは愛人に対しても同じで、自分の先入観から外れる部分は無視して、自分の好みどおりに振舞うことを要求した。 
「お葉」と新しい名前をつけたのも、性的に奔放だったお兼の過去を受け入れることのできない夢二の気の弱さのためだった。 
自分自身の浮気には寛大なのに、勝手なものだと思うが、気まぐれや意地悪ではなく、本気でお葉の過去に苦しめられているのだから救いがたい。 

お葉自身は、肉体関係で自分が汚れるという発想を全くもたない女性なので、夢二の苦しみを理解することはなかっただろう。 
夢二と同棲する六年余りの間、夢二好みの貞淑な女を演じたり、他の男と浮気しては戻ってくるという事を何度も繰り返したり…。 
自分を型にはめたがる器の小さい男からは、普通逃げたくなるものだけど、相手の望むものを察知した上で翻弄するしたたかさがいい。 
三十過ぎの男より、十代の女の子の方が恋愛において上手なのも面白い。 

お葉がモデルとして活躍した最後の作品は藤島武二の『芳恵』。 
チャイナドレスを着た、清楚で芯の強そうな女性。 
この女性のモデルが、こんなに生命力溢れる女性だったのかと驚いた。