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【本】すべての女は痩せすぎである

『すべての女は痩せすぎである』 姫野カオルコ (大和出版) 

姫野カオルコのエッセイ。タイトルは「すべての女は痩せすぎである」と「すべての男はマザコンである」のどっちにするか迷ったそうなのだが、その辺の話はあまり印象に残っていない。というのも、第3章 不感症のエロス論 「彼の声」というエピソードが面白すぎたからだ。 

姫野カオルコは高校生の頃吉行淳之介の大ファンだった。本屋で働く知り合いから作家の住所や電話番号の書かれた文藝手帳というものをもらって、時々その手帳を眺めては自分の憧れの作家さんたちがこの世に本当に存在していることを確認して喜んでいた。憧れの作家に接近するもっともまともな方法は「礼儀正しいファンレター」を出すことなのだろうけど、常識知らずの高校生はいきなり作家さんの自宅に電話をしてしまう。 

姫野カオルコは大きな本屋さんもない田舎町で、文庫で手に入る限りの吉行淳之介の本を読んでいた。なのに、電話での第一声は「私は先生の本はあまり読んではいないんですけれど、電話をかけてみようと思ってかけました」。 
(謙遜のつもりで思いっきり失礼なことを言っている…。) 
「ぼくのところへは、よく未知の人から電話がかかってくるからね」と言いながら、こんな見知らぬ高校生からの意味不明な電話を驚きもせず相手にする吉行淳之介がスゴイ。 
「先生は入れ歯ですか?」などと失礼な質問を繰り出す姫野カオルコに律儀に返答する吉行淳之介。そのやり取りが面白くて何度も笑ってしまった。 
自分勝手に質問して、話題が思いつかないと黙り込んでしまう高校生相手に「だまっちゃったね。こういうときは『天使が飛んでゆく』って言えばいいんだよ」と答える吉行淳之介はいちいち気障でかっこいい。 

恋愛感情なんだか尊敬の念なんだかよくわからない思いを自分でも整理できないまま真っすぐにぶつけてしまう高校生は普通だったらストーカー扱いされるんだろうし、私も読んでいて「かなりきてるな」と思っていたのだけど、彼女の切実な思いを受け止める吉行淳之介の温かさのせいで、妙なんだけどすごくいい人間関係ができているように思えて感心してしまった。特によかったのは次の部分。 

「会ったことがなくても、先生の本を読んでいる時間は先生の精神と私の精神はふれあっていると思う」 
「ぼくもそう思うよ。そうであってくれなくては意味がないと思うもの」(p134) 

作家さんや有名人の人たちはファンだと名乗る見知らぬ人たちに用心した方がいいと思うのだけど、非常識な人と不思議な関係を結んじゃうのも面白そうだなと思った。姫野カオルコは「ぼくでよければ、話し相手になってあげるから、またいつでも電話をかけてきなさい」と言ってくれる吉行淳之介の声を今でも思い出せると言うけれど、吉行淳之介にとっても自分のファンだと名乗る高校生から三ヶ月に一度ぐらいのペースで「世界史のテストが0点だった」なんていう電話がかかってくるのは愉快なことだったのかもしれない。