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【本】整形美女

『整形美女』 姫野カオルコ (新潮社) 

戦災で傷を負った人間に手術を施してきた、1923年生まれの整形専門医、大曾根のもとに一通の手紙が届く。 
手術を依頼する文章に、『計画』と題して本人が記した手術内容が添えられている。 
差出人は、二十二歳の繭村甲斐子という女性。 
大曾根はこの女性を〈整形すれば人生がバラ色になると盲信するしみったれた雰囲気の娘〉だろうと想像していたのだが、大曾根の前に現れたのは絶世の美女だった。 

話を聞いていてみると、大曾根には信じがたいことなのだが、甲斐子は完全に自分のことを醜いと思っている。 
彼女が今まで男性から受けてきた扱いも、彼女がそう思い込むのに十分なものだし…「自分の目がおかしいのか?」と思いつつ、彼女と一緒に公園へ散歩に出る。 

彼女が去ってから、大曾根は公園で出会った三人組の男に彼女がどう見えるか聞いてみた。 

「美人だとかブスだとかいうんじゃなくて、とにかく問題外」という三人の答えに納得できず、大曾根は三人が美人だと口をそろえて褒める女性を見てみるために、男の一人と食事をしに出かけた。 

そこに現れたのは〈かわいらしい〉と言えなくもないが大曾根には〈ブス〉と表現するしかないような女、望月阿部子だった。 

本文中では、大曾根の感想が次のように表現される。 

「阿部子が着ている妙にふわふわした、薄ぼんやりした色調の衣類も、食事中に必要もないのに髪の毛をかきあげるしぐさも、彼が何を質問しても、さあ、とあいまいに返事をするだけの会話の濃度の濃さも、ほんのすこしずつしか食物を口に運ばぬふんぎりの悪い食べ方も、なにからなにまで大曾根は気に入らなかった。なにか目に見えぬ、どこからかぷんと匂いたつ微粒子が不潔なのである」 

大曾根の困惑をよそに、彼女を連れてきた男は「清潔感のある色気っていうのかなあ、あれがなんとも…」と大曾根に耳打ちする。 

大曾根の目には〈男の気を引きたいという感情をほとんど無意識のうちに隠そうとしている不潔さ〉に見えているものが、この青年には〈清潔感のある色気〉に見えているらしい。

甲斐子は〈清潔感のある色気〉を持ち合わせていないのだが、そういう女を軽蔑することもなく、むしろそういう女として幸せに生きていくことを願う。 
彼女は〈美女〉になりたいのではなく、〈男からちやほやされる外見〉になりたいのだ。 

男の気を引くための計画の一番重要なところはどうやら「相手をびびらせない」ということらしい。 
そのためには美女であることよりも「かわいい」と思ってもらえる外見の方が有利だし、論理的に会話をするなんていうのはもってのほか。 

〈お喋りはしても話はしない〉というのが鉄則だ。 
自分の頭で考えて意見を言うんじゃなくて、常識的な意見を瞬時にはじき出す。 
常套句が効果的に使える人は上級者だろう。 
「やっぱり、女の子ってそうだよね」と相手に言わせるような発言が理想的。 

「『変わってるね』は褒め言葉ではなく〈拒絶の語〉だ」と姫野さんは言っていて、私もそこには共感できた。

計画通りに全身の整形を済ませ、就職した甲斐子には職場の男性から次々に誘いがかかる。 
外見だけでなく、仕草や発言の仕方も計画通りに変えていき、その成果を飲み会や合コンで発揮する場面が面白い。 

大曾根の審美眼や彼の感性を通して、姫野さんが世の中を見渡す時の視点を味わえて、それが私にとっては薄々感じつつも言語化できない部分だったりするので、こういう作品を読むと目を開かされるような思いがして、とても面白い。