【本】猛スピードで母は
『猛スピードで母は』 長嶋有 (文藝春秋)
「サイドカーに犬」と「猛スピードで母は」の二編が入っているのだけど、どちらもちょっと頼りない大人と子どもにしてはしっかりした子どもが出てくる。
「サイドカーに犬」の薫は、両親の不仲や母親の家出に不安を覚えるも、自分の不安を訴えることもなく淡々と過ごしている。
甘えベタでおねだりもほとんどしない。
まだ小学四年生なのに、わがままを言って大人を困らせることもない。
母が出て行って、父と弟と三人の生活が始まったところに、突然「洋子」と名乗る女性が現れる。
十代にも二十代にも三十代にも見えるその女性が、父の愛人だということも理解できていない薫だけど、晩御飯を作りに来てくれるその女性のことを気に入ってしまう。
母親とはずいぶん違って、細かいことを気にしないタチの洋子の言動に薫はとまどっていたのだけど、次第に洋子のやり方に慣れていく。
今まで絶対的に思えていたルールも実は人によって違うもので、母親には母親の、洋子には洋子のやり方があるのだと瞬時に理解してしまう。
薫は賢い子どもだ。
薫の憧れは、犬になって凛としてサイドカーに座ること。
「ずいぶん変なもんに憧れるなぁ」とも思うけど、何となくわかるような気がする。
こういう物語を読むと、「やっぱり子どもより大人の方が気楽なもんだな」と思う。
子どものうちはどうしても他人の都合に振り回されがちだし、恐ろしいほど無力だ。
成人していれば、自分の力で自分の居場所を確保することも子どもの頃ほど困難ではなくなる。
そういう意味では子どもが生きてる世界の方が厳しいだろうなぁ。
薫もいい子だけど、洋子もすごく魅力的な女性だ。
子ども相手に、「私、薫のことが好きだよ」「薫と友達になれてよかった」なんてサラッと言えるところがいい。
子どもを子ども扱いしない大人なんて実際にはなかなかいないからなぁ。
「猛スピードで母は」の母親と小六の息子の関係も、親子っぽくなくて面白かった。
私はベタベタした愛情がどうも苦手なので、こういうちょっと距離を取った感じで、でもお互いのことはちゃんと見てるっていう関係に憧れる。
子どもは意外に子どもじゃないような気もするし…。