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ツイッター @hyokofuji ミサ

【本】誰か

『誰か』宮部みゆき(文春文庫) 

今多コンツェルン会長の娘婿になった杉村三郎。 
妻と四歳の娘と幸せに暮らしているのだが、その幸せがいつか消えてしまうのではないかという漠然とした不安を抱えている。 

大金持ちの娘との結婚を純粋に祝福してくれる人はなかなかいない。 
「おめでとう」のあとには必ず「でもねぇ」「これから大変だ」「うまくやったじゃないか」といった猜疑、冷笑、疑念、軽蔑などがついてくる。 

彼の実の親たちも、別世界にいってしまう息子に戸惑い、素直に祝福することができなかった。 
結婚後も関係はぎくしゃくしたままだ。 

そんな中で唯一気持ちのこもった祝福の言葉をかけてくれたのが、義父の運転手の梶田氏だった。 
それは杉村にとって一生忘れられない瞬間になった。 

その梶田氏が事故でなくなった。 
自転車に衝突されたらしい。 
犯人はまだ捕まっていないが、目撃情報によると、その時間帯に赤いTシャツの男の子が猛スピードで自転車をこいでいたという。 

梶田氏の二人の娘は、父親をひき逃げした犯人に揺さぶりをかけるために、父親の伝記を出版したいという。 
以前出版社に勤めていた杉村がその計画に協力することになり、姉妹と喫茶店で待ち合わせる。 

三十二歳の聡美と二十二歳の梨子。 
姉は落ち着いていて慎重派。 
妹は活発で物怖じしないタイプ。 
性格の全然違う十歳違いの姉妹は、お互いに複雑な思いを抱えているようなのだが…。 

本の出版に積極的な妹に対して、姉は気が進まないようだ。 
聡美は「自分の両親に後ろ暗い過去があるのでは」と疑っていて、そのことが本を作っていく過程で明らかになってしまうことを恐れている。 
根拠を問いただしても聡美の心配しすぎとしか思えないのだが、杉村は聡美の気持ちを尊重して、梨子の調査が両親の過去に至らないように誘導しつつ、独自に彼女達の両親の過去を調べていく。 

両親の過去とひき逃げ事件の真相が明らかになるだけでなく、物語の終盤では聡美を深く傷つけるような事実も明らかになってしまう。 
物語が展開していくなかで、人間の弱さや醜さも描かれていて、引きこまれるように読んでしまった。 
杉村の母はハッキリしていてちょっと口の悪い人なんだけど、彼女の発言がとても印象に残った。 

「男と女はね、くっついていると、そのうち品性まで似てくるもんだよ。だから、付き合う相手はよく選ばなくちゃいけないんだ」 

「人間てのは、誰だってね、相手がいちばん言われたくないと思ってることを言う口を持ってるんだ。どんなバカでも、その狙いだけは、そりゃあもう正確なもんなんだから」 

私の経験に照らし合わせても、これは正しいような気がする。
このお母さん、出番が少ないんだけど、もっと出てきて欲しいな。 

姉妹やその両親の過去に焦点があてられているのだけど、ひき逃げ犯になってしまった少年やその周囲の心境も気になる。 
まさか自転車に乗っているだけで自分が殺人犯になってしまう可能性があるなんて、誰も想像しないだろう。 
少年はその罪の重さを背負えるのだろうか。 
彼の親や友人はどう彼に接していくのだろう。 
亡くなった梶田氏やその遺族にとっても、加害者になってしまった少年やその周囲の人々にとっても、人生が変わってしまうような大きな出来事だ。 
そのきっかけが、「自転車の運転が乱暴だった」という日常どこででも起こっているような些細なことなのが、どうしようもなく悲しい。