【本】空へ向かう花
『空へ向かう花』 小路幸也 (講談社)
「このタイトルはどういう意味なんだろう」と思って読み始める。
ビルの屋上から飛び降りようとする男の子に隣のビルの屋上にいた女の子が偶然気づき、とっさに鏡で光を反射して自殺を止める。
我に返った男の子は、女の子のいたビルの屋上にやってきて二人は会話をするのだけど…。
「人を死なせてしまった」という男の子。
読んでいる感じでは「凶悪な犯罪をおかしてしまった」という話ではなさそうだ。
「死なせたって言っても、事故みたいなものなんじゃないかなぁ」と思いながら読み進めて行く。
男の子の背負ってしまったものは、12歳の少年が一人で抱えるには重過ぎるものなんだけど、彼の両親は彼が苦しんでいることに目を向けられる状態じゃなくて…。
子どもを守るどころか追い詰めてしまう両親の未熟さがどうしようもなく悲しい。
彼が偶然知り合った同い年の明るくて元気な少女も、大人でも抱えるのが難しいぐらいのことを抱えていて…。
二人は友達になって、事実をどう受け入れ、少年の犯した罪にどう対処すればいいのか真剣に考える。
(罪といえるのかどうかは難しいところだけど…)
加害者になってしまった子どもの親も、被害者になってしまった子どもの親もまともな判断ができなくなってしまっていて、誰が悪いわけでもないのに事態はどんどん悪くなっていく。
そんな中で踏ん張る二人の様子は、少女の言葉によく表れている。
「いろんなことが変わっていくけど、それに向かっていかなきゃならないんだよ」
「風が吹いてきたときに、背中を向けるんじゃなくて、顔を向けるの。身体の前で、身体全部で風を受けるの。そんな感じ」
強くならなければ生きていられないような環境に放り込まれてしまった二人に、それぞれ大人の友だちができる。
少年が堤防でぼんやりしているのを見かねて声をかけた50代男性。
少女と知り合いになった、花屋でバイトをする男子大学生。
この大学生と中年男性も実は居酒屋の常連同士で以前からの顔なじみ。
そんな四人が集まって、少女が発案した計画に協力していく。
この辺でタイトルの意味がわかってくるのだけど…。
子どもが持ってる力と、子どもであるがゆえの弱さ。
大人になるとできなくなってしまうことと、大人だからこそできること。
そういったものが登場人物の言動からチラチラ読み取れて、読み応えがあった。
物語の中で大きな役割を果たす中年男性の過去は明らかにならないまま終わってしまうのだけど、そこがすごく気になる。