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ツイッター @hyokofuji ミサ

【本】映画篇

『映画篇』 金城一紀集英社) 


登場人物が様々な形で映画と関わる短編集。 

レンタルビデオ店の店員がサービスで貸してくれたビデオで久しぶりに大笑いした、夫を亡くしたばかりの女性。 
両親の離婚問題に胸を痛めながら、夏休みに50本の映画を観た小学生。 
おばあちゃんの思い出の映画をスクリーンで上映するために奔走する孫たち。 
「自分の人生がクソみたいになってるから、映画とか小説の世界に逃げ込んでるって気付いた」と語る映画好きのチンピラ。

そんな人たちを見ていると、自分の力をひけらかすために映画を利用する人たちが、とても醜く見える。 

自分がどういう生き方をしてきたか、今どんな精神状態にあるかで、映画に対する印象や映画が自分に与える影響も随分違ってくる。 
そんなところがまるで人との出会いみたいで面白い。 

印象に残ったのが映画好きの中年男性のことば。 

「君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきちんと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人が自分の思っていたよりも単純ではないことに気づく。そこに至って、普段は軽く受け流していた言動でも、きちんと意味を考えざるを得なくなる。この人の本当に言いたいことはなんだろう?この人はなんでこんな考え方をするんだろう?ってね。難しくても決して投げ出さずにそれらの答えを出し続ける限り、君は次々に新しい問いを発するその人から目が離せなくなっていって、前よりもどんどん好きになっていく。と同時に、君は多くのものを与えられている。たとえ、必死で出したすべての答えが間違っていたとしてもね」 
「まぁ、人であれ映画であれなんであれ、知った気になって接した瞬間に相手は新しい顔を見せてくれなくなるし、君の停滞も始まるもんだよ。そのノートに載ってる好きな映画を、初めて見るつもりで見直してごらん」 

登場人物が表わす人やものとの接し方の誠実さは、きっと著者自身がもってるものなんだろう。 
『GO』という作品がなぜあんなに魅力的に思えたのか、わかった気がした。 
『GO』もそうだけど、この本にも映画のタイトルがたくさん出てきて、私も映画をたくさん観たくなってしまった。 
今までよりもっと丁寧に観られそうな気がする。