There's a place where I can go

ツイッター @hyokofuji ミサ

【本】エッセイ

『エッセイ』 柳宗理 (平凡社) 

柳宗理のエッセイを集めた本。柳宗悦の息子で日本民藝館の館長を務めていた彼が紹介するのものの中には、意外にも機械で作られた製品が多い。民芸精神は骨董的な手工芸品の中だけにあるのではなく、民芸品とは呼べないようなものの中にも感じられると彼は言う。民芸精神とは何なのか、複数の文章を読んでいておぼろげながらわかってきた。 

まず、美のために美を創りだそうとしないこと。作者の美意識を作品を通して表現するのではなく、素材の性格や実用を考えてもっともいい形を作ろうとするところから美が生まれるという考え方。アノニマスデザイン(自然に生まれた無意識の美)という言葉を初めて聞いた。例えばピッケル。登山家の命を守るためのこの製品に装飾をほどこす余地など全くない。ひたすら実用に最も適した形を目指したところに美しさが生まれる。スイス製のピッケルを指して、柳宗理は「澄み切った最高の民芸精神に到達した」と記している。イームズの家を訪ねた柳宗理がコーヒーを出してもらって、その時に砂糖入れとして出てきた器が実験用の蒸発皿だったというエピソードも印象的だった。民芸精神とは実験道具の中にも潜んでいるものらしい。 

次に、今の社会生活に根ざしたものを造ること。伝統的な形式を踏襲することにはあまり意味がない。日本風のものを造ろうと思って造ると、かえって伝統の尊厳を傷つけることになってしまう。 
「日本人が日本の土地で、日本の今日の技術と、材料を使って、日本人の用途のために真摯にものを造れば、必然的に日本的な形態が出現することになる。この態度こそ日本の伝統の美を本当に継承することになるだろう」(p55) 
と、柳宗理は言う。 
民藝館の存在意義は過去の歴史的遺産を展示することにあるのではなく、新しい創造への刺激という役割を果たすことで日本文化を未来に渡って守り続けていくことにあるそうだ。 

もう一つ、民藝精神という考え方で重視されるのは庶民のための製品ということ。一品製作の藝術品と違って、すべての人が用いることのできるもの。といっても、大量生産=安物というイメージと全く違って、無駄を省いても手間を省かず、便利で丈夫で長持ちするという点にコストをかけるところが素晴らしい。 

この本を読んで、民藝精神に根ざした製品を眺めたり、自分の生活の中で使ったりすることに興味が出てきた。まずは民藝館に行ってみようかな。民藝論について書かれた本ももっとたくさん読んでみたい。