There's a place where I can go

ツイッター @hyokofuji ミサ

今できること 2011.3.11


金曜は大学図書館へ行っていたのだけど全く地震の揺れには気づかなかった。 
大阪でも揺れを感じたという話を複数の人から聞いたけど、帰りも普通に地下鉄は動いているし全く混乱はなかった。 
うちに着いてテレビを見ると信じられないような映像が次々に映し出されて何が起こっているのかよくわからず呆然としてしまった。 
母がテレビを見て動揺したのか自分の見た映像の内容についてずっと話し続けていたのだけど、自分の見聞きしたことを何の分析も加えず言葉に換えて垂れ流しにするだけなので聞いていてしんどい。 
テレビに映るアナウンサーの発言もそれとほとんど変わらないレベルで、この災害をどう受け止めてこれからどうしていけばいいのかという「言葉」はまだ全く聞かれなかった。 
私も自分の見たものをどう捉えていいかわからずひたすら不安になるばかりだった。 
言語化するということができなければ、精神的ダメージをもろに食らってしまうし、自分の頭で考えるという段階にも入れない。 
ツイッターなどで情報や感想は飛びかっても言葉らしい言葉がどこからも聞こえてこない。 
言葉が聞こえてこないという事態が自分をこんなにも疲弊させるものかと驚いた。

被害の様子をテレビで見ながら現地にいる人と連絡が取れなかった多くの人の不安はどれほどのものだったろうと思う。 
行方不明者数が一時間とたたないうちに跳ね上がる報道から実際の被害を想像すると、現地に知り合いがいない私も明るい声なんて全く出なくなってしまった。 
表情も固まっていたのではないかと思う。 
出かける気分になりにくくて家に籠もってしまいそうだったけど、気分のままに行動するのは間違っているような気がして、予定通り梅田に出た。 
土曜の昼頃の梅田は人の数が多いのにいつもよりひっそりしているように感じられた。 
最寄り駅のマクドナルドもみんな働いたり食事をしたりしているのだけど、他人の会話の内容がうるさく感じられるようなことはなかった。 
夕方に心斎橋に出ると随分にぎやかになっていたけれど、普通に動いている町の中にいても地震のことを全く気にしてない人なんていなかったんじゃないかなぁと思う。 
ちょうどその頃「関西電力からのお願いです」なんてチェーンメールが来たりして、信憑性に欠けると感じたので転送はせずにおいたのだけど、こういうメールを送ってしまう人の気持ちはわからないでもない。 
「何かしたいんだけど何をしていいかわからない」と思っているところに「被災地のためにこれをして!」と指示されたらその内容の真偽を確かめずにとりあえず動きたくなってしまうものだろう。 
何もできないということに対する後ろめたさに耐えるのは難しいことだから。 
でも今必要なのは「行動力」じゃなくて「見極める力」ではないかと思う。 
何もできない自分に対する後ろめたさや罪悪感にじっと耐えて状況を冷静に観察し、情報はどこからのものでも受け身にならずに主体的に確認して、自分が差し出せるものが何かを見極めたい。 

節電は、こっちで節電すればあっちで電気が使えるというわけにはいかないので、あまり意味がないけれど、消費行動を被災地のことを考えたものにシフトさせるのは効果がありそうだ。
これから西日本から東日本へ物を送ったりすることもできるようになるだろうから、そのためにも買いだめなんてしないでできるだけ消耗品は節約しようと思う。 
西日本でも物が不足するのではないかと言って、必要以上に紙おむつやトイレットペーパーを買ったりする人もいるみたいだけど、そういうことは慎みたい。 
私に赤ちゃんがいたら、外出分の最小限の紙おむつだけ確保して水が使える環境にいる自分は布オムツに切り替えるとか、少々の不便は引き受けたいと思う。 
東日本にいる身内に個人的に物を送るという人もいるけれど、身内が心配なのはわかるし送ってくれと頼まれれば断れないだろうけど、それも本当はあまりしない方がいいんじゃないかなぁと思う。 
ボランティアとして被災地に物を送るのもやり方を間違えてしまうと迷惑になるし。

自分の買い物の仕方を変えるというぐらいの間接的なことしかできないのは心苦しいけど、直接的な支援ができるようになるまで先走った行動を取らないように気をつけたい。 
自分が辛い状況に陥っている時に人間の未熟さや卑しさを目の当たりにすると何ともいえないぐらい絶望的な気分になるものだと、私も経験的に知っているので、被害のない地域にいる自分は被災地で踏ん張っている人に対して恥ずかしい振る舞いは絶対にできないなと思う。 

映画を観たりお酒を飲みにいったりすることを不謹慎だと感じる人もいるみたいだけど、私は自分が経済的な損失を受けずに済んでいて通常通り働いてお給料がもらえる状態なら、いつも通りかそれ以上にお金を使うようにした方がいいと思う。 
自分が飲みに行くのに言い訳はいらないし、募金を名目にした集まりじゃなくても人と会って話をして自分以外にも何かをしたいと思っている人が西日本にもたくさんいると確認できれば、それだけで心強い。 
それがこれから動き出す時のパワーにもなってくれるんじゃないかと思う。 
不謹慎だと言いたくなる人の気持ちもわかるので、自分が遊びに行って楽しかったというような話を不特定多数の人の目に付く場所に出すのは控えようと思うけど、被害に遭っていない地域の人間まで元気がなくなってしまうのは避けたい。 

自分の生活にも不安があるからお金に対して守りに入りたくなっちゃう気持ちはあるけれど、被災地やこれからの日本のことを考えた消費行動を取るようにしたい。 
消耗品はあまり買わないようにして、それ以外の部分はいつもより少し多く出費するようにして、貯金に回すつもりのお金の一部は募金に回す。 
今できることはそれぐらいだけど、ひたすら不安になるんじゃなくて、お腹に力を入れる感じで、しっかり状況を見極めて、自分が差し出せる最大限のものを差し出す準備をしておこうと思う。