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【本】きりこについて

『きりこについて』 西加奈子 (角川書店) 

美男美女の両親の間に生まれたきりこは、みんなに可愛がられ、自分がぶすだということに全く気付いていなかった。 

両親にとっては、きりこが客観的に見てどの程度の容姿であれ可愛いに違いないのだから「可愛い可愛い」と言って育てるのは当然なのだが、周りの大人たちが同情心からきりこを特別扱いしたのがいけなかった。 

子どもたちも、彼女の威圧感のある風貌と自信あふれる態度、大人たちが彼女を扱う様子から、きりこは特別な存在だと思い込んでしまう。 

「可愛い、可愛い」と育てられたきりこは、自分のことをほかの女の子たちよりもずっとかわいいと思っていて、似合いもしないヒラヒラした洋服を好んで着るし、遊びの中でも他の子どもたちに自分をお姫様扱いさせる。 

といっても、きりこはみんなを力で押さえつけるのではなく、上手に褒めて相手を認めることに長けていたから、みんなはきりこに気を遣いながらも彼女のことが好きだった。 

そんな彼女が、自分はぶすだと気付くのは、小学校の高学年になった時。 
みんなの前で好きな男の子からそう宣告されてしまうのだ。 
それ以降、きりこは「自分のどこがぶすなのか」、真剣に考えるようになる。 

きりこは二年ほど鏡を見つめ続けるのだけど、そんなことをしたところで、謎が解けるはずがない。 
ぶすの要素という絶対的な何かが、きりこの顔にくっついてるわけではないのだから。 

きりこの顔は、ただただきりこの顔でしかない。 
それがぶすだとか美人だとか言われるのは、個人的な趣味もあるけど、時代や地域を限定した特定の集団内の価値観によるのだろう。 
ひょっとすると、きりこの顔を美人だと見なす地域や時代だってあるかもしれない。 

中学生になったきりこは、人気女優や、友だちの描くマンガの主人公、学校で可愛いと言われている女の子たちの共通点に気付く。 
そして、彼女たちの対極にある自分の顔が今の日本の美の基準から外れているということを思い知る。 

自分がぶすだということを思い知ったきりこは、鏡を見なくなって、ほとんど一日中寝て過ごすようになる。 

可愛いと言われる女の子たちにできるだけ近づくように努力するなんてことは、彼女にはできないことだった。 
自分が自分でいることを恥じなければならない理由も、世間的な基準に従って自分を変えたり誰かの真似をしなければならない理由も、きりこにはないように思えたし、そうしてまでみんなに愛されようとすることは自分への冒涜のようにも思えた。
それで彼女は自分を苦しませる原因になる自分の顔を見ないようにして過ごすことに決めたのだ。 

その間彼女を支えたのは、人の言葉を理解できる賢い飼い猫、ラムセス2世だ。 
ラムセス2世は自分の名前をとても気に入っている。 
彼は自分の名前について、「2世、という響きも、『やるときはやるで』という、秘めた戦闘力を予感させるようで、大変気に入った。」と言っている。 
(私は、この辺の西さんのセンスが好き) 

人からどう見られるかということがその人のありようにまで影響を与えてしまうという人間のあり方を、人間の価値観に猫の価値観をぶつけると言う形で浮かび上がらせるという方法が面白い。 

ラムセス2世の力を借りて再び外の世界に出たきりこが「自分のしたいことを叶えてあげるんは、自分しかおらん」と断言するところが爽快でよかった。 
初恋の人に再会して、ますます色んなことに気付くところも。

きりこほど極端な経験はないけれど、「自分の外見が他人に対してどういう意味を持つのか」というのは身近な問題だったから興味深く読めた。 

西さんの価値観も窺えて、「そこまでハッキリ言ったら、自分の価値観が批判されてると感じる人もいるのではないか」と思って、ヒヤヒヤしてしまった。 

重くなってしまいそうなテーマだけど、全体的にユーモラスで、ラストもすがすがしかった。 
きりこが「容れ物と、中身と、歴史を持ったその人を、しっかり見る」ということができるようになったところも、読んでて「よかったなぁ」と思った。