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ツイッター @hyokofuji ミサ

【本】永遠の出口

『永遠の出口』 森絵都 (集英社) 


「永遠」という言葉に弱い女の子が主人公。 
自分が見逃したものや、食べそびれたものがこの先永遠に手に入れられないと感じると、いてもたってもいられない。 
とんでもないミスをしてしまったと思い、焦燥に駆られ、言い知れぬ不安や寂しさを感じる。 
この世の中のすべてを味わうことなど不可能なのに…。 

主人公は取り返しのつかないものの多さを知り、諦めることを覚え、大人の入り口へと通じる〈永遠の出口〉へ一歩ずつ近づいていく。 
小学生から中学生、さらに高校を卒業するまでの間、友だちとの別れや両親の離婚危機、バイトや彼氏との関係など、些細なことに一喜一憂しながらだんだんと自分のこと、他人のこと、世の中のことが見えてくる様子が面白い。 

一番印象に残ったのは、小学6年生の時の友だちとの別れの場面。 
家は近所のままでも、私立中学へ行く友達とはこれからは毎日学校で顔を合わせることもない。 
いつでも会える距離に住んでいたって、きっと会うことはなくなるだろう。 
大人になると別れそのものよりも「忘れない」と約束した相手のことをいつかは忘れてしまうこと、辛い別れも何とか乗り切れるものだと経験的にわかってしまうことなどを切なく感じるようになり、純粋な寂しさだけで一杯になってしまうことはないという。 
確かに、また会えるとわかっている相手との一時的な別れをやりきれない程辛く感じることはもうなくなってしまった。 
それは、通信手段の獲得や自転車以外の交通手段を自由に選べる気楽さのためだけではなく、精神的に大人になったことの結果なのだなぁと感じる。 

別れの寂しさだけでなく、作中で描かれる高校時代の恋愛の不器用さも子どもの特権のように思える。 
今の私では逆立ちしたって真似できそうにない。 

子どもの頃は早く大人になりたくて仕方なかったけれど、大人になることで失うものもたくさんあるのだなぁと今更気付く。
じゃあ、大人になることで手に入れたものは何だろう。 
作者は〈生きれば生きるだけ、何はさておき、人は図太くもなっていくのだろう〉という。 
その通りだなぁと思う。 
たいして能力が高くなるわけでもなく、特に私はコケてばかりなのだけど、打たれ強くなっているのは確かだと感じる。 
大人になるといっても、何かしら完成形に近づいていくわけでもなく、これからも醜態をさらし続けることになるのだろう。
ちょっと悲しい気もするけど、そこがこれから先を生きていくうえでの面白みなのかもしれない。