There's a place where I can go

ツイッター @hyokofuji ミサ

【本】太陽と毒ぐも


『太陽と毒ぐも』 角田光代(マガジンハウス) 

恋人たちの関係を成り立たせたり破綻させたりするものが、お互いの趣味や癖や生活習慣といったひどくみみっちいものだということを描いた短編集。 

恋人たちの日常を描いているのだが、ロマンティックなところが全くない。 
すっごく現実的で生活感が漂っていて、恋愛ものと呼んでいいのかどうか悩んじゃうけど、私は角田さんの書くこういう話が大好きだ。 
きっと今までに何人かの人と付き合って、その一人ひとりと真剣に向き合ってきたんだろうなぁと思う。 

別れ話に発展するような大問題も、冷静に見ればひどくくだらないことで、「こんなことで別れるか?」と本人たちも疑問に思うのだが、どうしてもそれが許せないのだから仕方ない。 

作中で取り上げられる許せない習慣や癖は、お酒の飲み方・お風呂に入る頻度・食事がわりのお菓子・買い物の仕方・迷信好き・記念日好き・口の軽さなどなど。 
どれも生活に深く関わっているので、我慢できないとなれば相当苦しいのだけど、それでもいざそのせいで別れるとなると、「そんなものに二人の関係を壊されるなんて…」と思ってしまうようなことばかり。 

記念日好きの彼女に困らせられた男性が、別れたいと思っていたはずなのに「一緒に暮らそう」と言い出すシーンが面白かった。 
彼は「一緒に暮らせば記念日で騒ぐ必要もなくなるだろう」と考えたのだが、それでは問題の解決にはなっていない。 
でも、「記念日なんかが二人の関係より優先されるはずがない」ということを証明したいという彼の気持ちはよくわかる。 

35歳の女性が、仕事関係で知り合った一つ年下の男に誘われて飲みに行き、毎日のように会うようになる。 
そこから三ヶ月で一緒に暮らすようになるのだが、それほど早く関係が進展した理由は「お互いが面倒だと思うものの種類が似ていたから」というもの。 

関係を破綻させる原因がみみっちいものであるのと同じように、関係を進展させる原因も色っぽいものなんかじゃなく現実的でつまらないものだ。 
その辺が残念なのだが「そういうもんだよなぁ」と思う。 

「面倒に思うものの種類が似ている」という点で仲良くなった二人は一緒に住み始めてからお互いについて多くの発見をする。 
お互いの違いに驚きながらも、譲歩したり、変更したり、新しい習慣を二人で作ったりしながら、楽しく生活していく。 
人に合わせて自分の習慣を変えたり、自分が相手に影響を与えたり、そういうことの数々は楽しいものだったりするのだけど、どうしても譲れないものや我慢できないことが出てくると、相手に対する新発見も厄介なものでしかなくなってしまう。 

【嫌いになること】と【別れたいと思うこと】がイコールでないというのも辛いところだ。 
好きだという気持ちに変わりはなくても、どうしても許せないことがあると一緒にいられない。 
相手を嫌いになんてなれてないのに、会うことが苦痛で仕方なくなっている自分に気付いた時には愕然としてしまう。 

相手の魅力やいいところ、これまでの思い出など、何か別れたいと思う気持ちにブレーキをかけられるものがないかと必死に頭を働かせても、どうにもならなくて、相手の人柄や付き合ってきた時間、彼と付き合っていた時の自分など、できることなら大事にしたいことごとを全て否定しなければならない時の辛さはたまらない。 

でも、そんなことも他人から見れば笑い話なんだよなぁと、この作品を読んでいて思った。 
私はいくつになっても、こういう馬鹿馬鹿しくてくだらないことを愛しいと思える人間でいたい。