【本】壁
ある朝起きると、どうしても自分の名前が思い出せない。
「まぁ、これぐらいのことはどうということもない」と思い、名刺入れを開けてみると、あいにく名刺は一枚も入っていない。
慌てて自分宛の手紙を引っ張り出すと、なぜか名前の部分だけが消えている。
顔見知りの人間に自分の名前を聞いてみても、相手は困ったように笑うだけ。
仕方なく、自分の名前がわからないまま出勤してみると、自分の名札が掛かっているはずのところに「S・カルマ」という名前が…。
自分の名前のような気もするし、自分の名前でないような気もするし…。
少なくとも「思い出した!」というような安心感はない。
自分の机を見てみると、すでに【別の自分】が座っている。
この男、右目で見ると確かに自分のうつし絵のようなのだが、左目でみると一枚の紙片にすぎない。
「あいつの正体は僕の名刺だ」と相手の正体を見破ったものの、どうしていいものやらわからない。
名前がないと、実体として現実に存在しているにも関わらず、社会的に存在しないものとして扱われてしまう。
自分が自分であることを証明できないし、他人は自分を識別してくれない。
名前がないために、自分が今まで帰属していたものからも排除されてしまう。
名無しで街を歩くのは心細いし、名前のない人間は、ひどく孤独だ。
彼は同じように名前のない動物やマネキンに愛着を覚えたりするのだが…。
他にもいくつかの短編が入ってて、どれもユーモラスなんだけど、考え込んじゃうようなテーマが扱われてて、読んでいて面白かった。