【映画】おとうと
『おとうと』という映画を観に行った。
すごくいい映画だった。
吉永小百合が演じる吟子という女性は薬剤師で、町の薬局を経営している。
吟子は、娘の小春と義理のお母さんの三人で暮らしていて、夫はすでに亡くなってしまっている。
吟子には鉄郎という困った弟がいたのだけど、夫の十三回忌でお酒を飲んで暴れたのをきっかけに、疎遠になってしまっていた。
そんな弟が小春の結婚式に出席するために現れ、結婚式をぶち壊してしまう。
吟子は怒って絶縁を言い渡すのだが、弟は懲りない奴で…。
吟子は何度も何度も怒ったり許したりを繰り返すことになる。
鶴瓶さんの演技がすごくよくて、確かにこの弟だったら憎めないよなぁと思わされてしまう。
通天閣の近くに住んでいて、阪神ファンの将棋ファン。
大衆演劇の役者やたこ焼き屋をしながら何とか生活している。
小さいころから落ちこぼれのダメな子で、唯一の自慢は小春の名付け親になったこと。
小春という名は坂田三吉の奥さんの名前からとったもので、結婚式をぶち壊す時に彼女の名前の由来を説明し、『王将』を歌ったのが笑えた。
夫の上司にあたる人間が決まり文句で新郎を褒めちぎるのも、応援団の真似事をする学生時代の友人たちが出てくるのも、私にとっては見ているだけで恥ずかしくて、「そんな結婚式に出席するのは辛いなぁ」と思っていたので、新郎とその両親から鉄郎が恥さらし扱いされるのが面白かった。
「恥知らずに恥さらしって言われてる…」と思ったが、さすがに酔っ払ってテーブルをひっくり返すのはよくない。
娘の結婚式をぶち壊され、新郎の両親から叱られ、吟子が怒るのも当たり前だ。
怒られた鉄郎は全然懲りていない。
「お姉ちゃんが怒っている」と思ったら慌てて機嫌を取るのだけど、どうして怒っているのかちゃんと考えようとしない。
謝るべき時にちゃんと謝らないので、不誠実な人間に見えてしまうのだが、他人を軽んじているわけではない。
極端に自信がなかったり不器用だったりするためにコミュニケーションがちゃんと取れないだけで、悪意が全くないというのも伝わってくる。
それだけに、どんなに腹が立っても、絶縁を言い渡しても、姉は彼を嫌いになりきる事ができない。
「肉親なんだから弟の面倒を見るのは当然だ」と思う人もいるんだろうけど、自分の言うことを正面からきちんと受け止めない相手を対等に扱って、本気で怒り続けるのはすごくエネルギーのいることだ。
上品で優しい雰囲気の吟子だが、すごくエネルギーのある女性だなぁと思った。
もう一人、コミュニケーションのちゃんと取れない男が出てくる。
小春の夫だ。
金持ちで医者で、結婚相手の条件としては悪くないのだが、残念ながら結婚する資格のない男だ。
彼は他人と一対一で関係を築くというのがどういうことなのか全くわかっていないし、わかる必要もないと思っている。
お金を稼いで、暴力をふるわず、浮気もしなければ、夫としての役割を十分果たせていると思っている。
悪い人ではないのだが、未熟な彼がこれから成長してくれるとも思えない。
吟子が小春の夫に話をしに行くシーンがある。
向き合って二人で話をするよう勧める吟子に、夫は「話せと言われても…何を話せと言うのですか」と答える。
「真面目なことを真面目に話すんです」という吟子のセリフはイプセンの『人形の家』に出てくるもの。
『人形の家』では、夫から愛され、可愛い子どももいて、呑気に幸せに生活しているように見えるノラという女性が、ある事件を機に夫と子どもを残して家を出て行く。
彼女が家を出るときに夫に告げるのが、次のセリフ。
「結婚してからずっと夫婦間で真面目に底まで突き詰めて話し合うということをしてこなかった」
自分たちの共同生活が結婚生活と呼べるようなものではなかったことに思い至って、それ以上夫と暮らすことができなくなってしまったノラと同じように、小春も夫と離婚して実家に戻ってくる。
小春は吟子の娘だけあって、ちゃんとコミュニケーションは取れそうなのだが、母親がしっかりしているせいかちょっと頼りなくて、幼く見える。
小春を演じる蒼井優がかわいくて、商店街の人気者なのもよくわかる。
【嫁に行く以外に生きる手段を持たない女】という風に見える設定にも関わらず、彼女を見ていると「幸せになってほしい」という気持ちになってくるから不思議だ。
加瀬くんの演じた大工の青年役は、いつもの加瀬くんと違ってちょっと男らしい感じが出ていて、よかった。
少々荒っぽい言葉を使っても、優しくて温かい人だというのが伝わってくるのは、加瀬くんの魅力だと思う。
自分に対して投げやりで、そのため他人の気持ちにも鈍感な鉄郎だが、吟子の夫が彼に小春の名付け親を頼んだ時の気持ちはちゃんと受け止めているようだ。
義兄は、自信になるようなものを何一つ持っていない鉄郎に何か誇れるものがあればと思い、「娘の名付け親になってくれ」と頼み、そのことを感謝し続けた。
鉄郎は義兄を慕っていたようだし、小春の名付け親であることをどこに行ってもよく自慢していた。
吟子の夫は本当に素敵な人で、そんな義兄の思いがちゃんと鉄郎に伝わっていたことが何より嬉しい。
一筋縄ではいかない、人と人との関わりを描いた作品、私は大好きだ。