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【本】人は見た目が9割


人は見た目が9割』 竹内一郎新潮新書) 

非言語コミュニケーションについて書かれた本。 

アメリカの心理学者の出した実験結果によると、他人から受け取る情報の割合は次のようになるそうだ。 

顔の表情:55パーセント 
声の質(高低)、大きさ、テンポ:38パーセント 
話す言葉の内容:7パーセント 

「言葉の内容が7パーセントって…もっとちゃんと人の話聞けよ!」 
と思うのだが、確かに人の話ってあんまりちゃんと聞いてないような気がする。 
内容に反応しているケースを取ってみても、相手の言うことを正確に捉えようとするより自分の都合のいいように相手を解釈しちゃう人が多いような気もするし…。 
そう考えると、いくら自分が自分の考えや気持ちを正確に伝えるために言葉を選んでも、無駄な努力に終わっていることが多いんだろうなぁと、思う。 

著者は、言語によるコミュニケーションよりも非言語コミュニケーションの方が重要なものだと主張したいようだ。 

私自身は、言葉を使うのが好きな人間なので、言葉を軽んじられると面白くないのだけど、それでも、自分が言語以外の情報を重視していることは認めざるを得ない。 

特に、私は声に敏感で、声が好きか嫌いかというだけで相手に対する信頼度が変わってしまったりする。 
高めの通る声でハキハキ喋られると、内容もちゃんと聞く気になるから不思議だ。 

「言葉の内容より、見た目で判断されてしまう」なんて言うと、「【中身】より【外見】が重視される」という話に聞こえてしまうが、【言語】と【非言語】の違いは、【中身】と【外見】の違いではない。 
言語を通して自分を発信しようが、言語以外のもので自分を発信しようが、自分の【中身】をそのまま他人に伝えることなんてできないし…。 

言語も非言語もコミュニケーションの道具と考えられる点では同じで、その道具をどう使うかで自分がどういう人間であるかが判断されてしまう。 
「人は他人の中身なんて見ていない」というのが前提で、その上で、「言葉以外のコミュニケーション手段も大事にしないと、足をすくわれるよ」という話のようだ。 
そういう話なら納得できる。 

言葉を発する時には意識的になる私も、声の高さやテンポ、姿勢、足先を向ける方向、着ている洋服の色なんかで、知らず知らずのうちに他人に情報を発信してしまっているということには、無頓着だった。 
そういうことを意識すると、他人と関わるのがもっと楽しくなるかもしれない。 
言葉を交わし合う喜びに加え、もっと沢山のものを他人から受け取れると思うとワクワクする。 

この本では、マンガの技法を中心に話を進めていくので(スクリーントーンの使い方や構図、コマ割など…)、普段何気なく読んでいるマンガに隠された沢山の意図に驚いてしまった。 
これから、マンガを読むのがもっと楽しくなりそうだ。