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【本】ジャムの空壜

『ジャムの空壜』 佐川光晴 (新潮社) 


主人公と奥さんは毎朝6時に起きて、早ければ23時にベッドに入る。毎日元気に生活できていて健康に対する不安は全く抱えていない。ある日主人公が夕食の準備をするために料理本を取ろうとして何気なくその隣にあった『家庭の医学』を開く。そこには「普通に性生活があり、避妊をしていないのに、結婚後二年たっても妊娠しない場合を不妊といいます」とかかれてあった。不妊症がどちらかまたは両方の体の問題を指すのではなく、妊娠しないという状態を指すことに主人公は驚き、「それなら自分たちも不妊症だ」と気付く。そして奥さんと二人で病院へ。 

二人にとって有効だと思われる治療法がそんなに負担の大きいものではないとわかったのだけど、医師は不妊治療をするかしないかは自分たちで決めてくれればいいと言う。病院で肺炎だと診察されて治療するかしないかの選択を迫られることはまずないのだけど、不妊治療となると命に関わるわけでもないし日常生活に支障をきたす体調不良に悩まされているわけでもないし、「そのままでいいや」という選択肢も確かにありえる。主人公は「不妊治療を選択するとすればその理由は何だろう?」「しないとすればその理由はなんだろう?」と自問し始める。

この小説は不妊治療をする夫婦を描いたものというより、「明確な目的が人生を定めていくのか」というテーマで書かれているみたいだ。主人公は大学を卒業してからの自分の人生を振り返る。ゼミの先生と喧嘩して大学院に進めなくなったこと。胃炎で入院したのをきっかけに銀行を退職して司法試験を目指すことにしたこと。世間的な価値観は主人公の行動の基準にはなっていないものの、それでも主人公の価値観に入り込んでいる部分があるのが興味深い。ゼミの先生と喧嘩しちゃうくせに卒業だけは確定していることに胸を撫で下ろしたり、出世にまるで興味がないのに弁護士になることで逆転できると考えていたり…。 

大学院に進学するのを諦めて就職した時に失ったしまった 《明確な理由》を司法試験受験という目的をもつことで回復したと考えていた主人公が再び悩み始めるのは肉屋でのアルバイトを始めてから。豚の解体というひたすら手際よく体を動かす作業を毎日しているうちに主人公は「一日がある別の一日のためにあるのではなく、一日がまずその日のためにある楽しさ」を感じるようになった。もちろん司法試験合格という目標を取り下げるつもりはないし、不思議なことに前よりも勉強がはかどるようになっているのだけど、今の生活の先に何らかの完成形のようなものがあるとは考えられなくなってしまった。 

目的を持って明確な理由を掴んで生きているつもりでも、理由なんて結局あとづけの解釈にすぎない。どんなに立派に聞こえる理由も他人を納得させるのには役立っても自分をなだめて前へ進ませる力としては頼りないものだ。今日が今日のためにあるような毎日を送ろうと思ったら、そのとき必要なのは理由でも目的でもないような気がする。自分がいまここで生きているという圧倒的な事実の力に比べたら、「何のために?」なんて問いは取り上げるにも足らないちっぽけなものなんだけど、それでも理由や目的を拵えることでしか前へ進めないこともある。ただ、一度でも一点の曇りもなく自分の今を肯定する瞬間を味わったとしたら、それは何かを決意する動機としてこのうえなく力強いものなんだろうと思う。「地に足がつく」というのはこういうことを言うのだろう。(一般的には安定した収入が得られるようになることなんかを指すのだろうけど)主人公が《失業中の受験生》でありながら子どもを持つことを本気で考えるようになった気持ちがちょっとわかる気がする。他人に申し開きをするうえで都合のいい条件がそろうことよりも、自分が根拠もなく「これだ!」って思うことの方が自分を動かす力としては強力だよなって改めて思った。