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【本】美しき日本人は死なず

『美しき日本人は死なず』 勝谷誠彦 (アスコム) 

私は美談が好きじゃないので「勇気と涙の感動10編」なんて帯に書いてある本を手に取ることはまずないし、タイトルにもあまり惹かれなかったのだけど、内容がすごくよかった。『女性自身』という雑誌の「シリーズ人間」という連載をまとめたものだ。どの話も素晴らしかった。色んな分野で活躍する無名の人たちにスポットを当てて、取材に基づいて物語をかきあげるというスタイル。 

私が美談に対して持っていたイメージは「道徳的に正しくありたいという気持ちを持つ人がその気持ちに基づいて立派な行動を取り、その結果本人も周りの人も幸せになる」というもので、そういう話に素直に感動できないのは〈道徳的に正しくありたい〉という気持ちに何となく胡散臭いものを感じるからだろう。 
『美しき日本人は死なず』で紹介される10編の物語の主人公たちはどの人も利己的とか利他的とかいう区別を超えたところで物事を判断し、「このままにしておけない」という気持ちだけで現状を変えるために行動している。「自分が不利益を被ったり悪者になったりする可能性を引き受ける覚悟がないと、何かを変えることなんてできない」ということを知っていると、〈自分が正しい人間でありたい〉という気持ちが動機に含まれる行為を利他的な行為だとは感じられなくなってしまう。まえがきの「利他であると意識することそのものが、利己に通じるのがむずかしいところだ」という一文は本当にその通りだ。 

【何かに直面した時に、自分の損得を計算することも忘れて自分がすべきことに意識を集中させる人たち】がいるのを知って、著者の言う「人類普遍の何かである〈心〉」にこういう要素が含まれているなら、もう少し人間の力を信頼してもいいんじゃないかという気になれた。「自分がどうありたいか」なんてことを考えずに状況に飛び込んでいく物語の主人公たちが「自分が何をすべきか」に意識を向けながらも〈自分のあり方〉にいつも真摯でいるところが興味深い。例えば小児科医が「子どもの命を救いたい」と思ったら、その思いだけで自分のことを〈子どもの命を救いたいと思っている人間〉だと言ってしまっても間違いではないと思うのだけど、物語の主人公たちはそういう判断を自分に許さずもっと厳密に自分のことをはかっているように感じられた。「子どもの命を救いたい」と思ったなら、そのためにできることを具体的に考え、誰のせいにもせず自分たちの責任で実行し、常に自分に厳しい目を向けてもっとできることはないかと考え続ける。そこまでしないと自分のことを〈子どもの命を救いたいと思っている人間〉として認めないのだろうと思わせる厳格さと、自分に対して真摯に向き合い続ける姿勢に惹きつけられてしまった。主人公たちの営みが今でも継続しているのは自分のあり方に真摯に向き合い続ける作業に終わりがないことの表れなんだろうと思う。 

そして、その姿を近くで見ている子どもたちにも親の生き方がちゃんと伝わっているのを知って、刑務所面接委員の黒田さんの「子育てとは、親自身が、一生懸命に生きること」という言葉を思い出した。 
子どもの力を思い知らされるエピソードが二つあった。一つは「傘ぽん」という濡れた傘をビニール袋にいれるための道具を開発した男性の話。その父親に、雨で遠足が中止になった子どもが声をかける。「お父さん、僕、雨でも残念じゃないよ。お父さんの傘ぽんが有名になるからね」 
もう一つは小児科を経営する夫婦の話。母親と離れるのを嫌がる年頃の小児科医の子どもたちが、自分たちの母親が急患のために出勤する時に母親の問いに次のように答える。(お母さんといられることよりも)「病気の子の命が助かる方がいい」 
自分が仕事に邁進することが子どもの負担にならないだろうかと考える人は多いだろうし、仕事のために使う時間と家族のために使う時間の兼ね合いを考えるのは大事なことだけど、子どもと一緒に過ごす時間を確保することだけが子どものためにできることではないんだなと思った。「自分自身が一生懸命生きること」っていうのは「子どものために時間を取ること」よりも実は難しいことなのかもしれないけれど…。利他とか利己とかいう区別を超えたところで「良かれ」と思って何かを選ぶ生き方が語って聞かせるまでもなく子どもたちにも伝わっていることに感動した。 

著者にとって「シリーズ人間」の執筆は希望を奮い立たせる機会になったそうだが、読んでいる私にとっても希望を持たせてくれる力のある文章だった。