【本】ビロウな話で恐縮です日記
2007年から2008年までの三浦しをんのブログを集めたもの。
些細な日常の出来事が中心なんだけど面白くて何度も吹き出してしまった。
弟からブタと罵られ、母と喧嘩して叔父さんからもらった魚で仲直りし、祖母と一緒に『篤姫』を見る。
祖母の家に泊まりに行った時のことを書いてある「ばあちゃんと俺日記」が特に面白かった。
九十歳のおばあちゃんが八十代の理学療法士を「若い人」って言うところや三浦しをんに向かって「あなたのおなかじゃ、机と椅子の間に入らないわねぇ」と言うのが笑えた。
『篤姫』を見るときの注目ポイントも面白い。
「篤姫と上様が白い着物で床に入るたび、『おおっ』『今夜こそ!?』と色めきたつばあちゃんと俺。」ってところがおかしかった。
そういう話ではなかったような気がするのだが…。
「『バカボンド』の登場人物で誰が好き?」なんていうどうでもいい話を友達と電話でしていたりするのだけれど、その話がかなり深い問題に繋がっていく。
しをんさんと友だちとで俳優やマンガのキャラの好みがかぶることが多いのだけど、お互いの好みがまるでピンとこない部分もある。
その差がどこにあるのか考えていて大発見をしたと友達が言う。
好みが一致するのは「できることなら付き合いたいものだなぁ」って方向で好きな人物で、一致しないのは「もし男だったらこういうふうになりたい」という意味で好きな人物だそうだ。
「好き」に二種類あって、それが「つきあいたい」好きと「こうなりたい」好きだというところが興味深い。
さらに《「こうなりたい」好きを「恋心」に包含される形で発露させる女性が多いのに対し、男性は「こうなりたい」好きを「恋心」に包含されることをあまり好まない》という一文に考えさせられてしまった。
何となくわかるかな。
確かに男性で好きな女の人のことを「こういう人になりたい」という方向で好きな人は少なそうな気がする。
尊敬の念とか、友だちとして好きとか、恋愛感情とか、実は意外に区別しにくいよなぁとも思う。
角田光代の『くまちゃん』に出てきた男の子で、男友達に対する尊敬の念が強すぎて彼にとって友人が「世界一大事な人」って感じになっちゃってる人がいるのだけど、彼は男に対して性的な興味を持っていないので、友達に対する自分の感情を恋愛感情だとは思っていない。
読んでいる私もこれを恋愛感情と呼んでいいものかどうか判断に困ってしまった。
この辺の区別は非常にデリケートで、自分でも自分の気持ちが掴みきれていなかったりする。
二種類の好きについて、私もちょっと自分の心を検証してみたいな。
ちなみにしをんさんは同性に対しても「こうなりたい」好きや「つきあいたい」好きを持っているそうだ。
余貴美子と付き合いたいと言っていた。
日記の中には漫画や本を読むのに熱中してしまって仕事が全然進まないという記述が目立つのだけど、しをんさんの紹介するBL小説で、すっごく面白そうなのがあった。
『美男の達人』小林典雅(白泉社花丸文庫)という本なのだけど、女心をつかめる男になるための美男塾というのが舞台になった話だそうだ。
「バリバリ働いて、愛するひとを大切にし、言葉を惜しまず、困っているひとを見かけたらスッと手を差しのべられるような男になれ」という講義内容はそんなスーパーマンみたいな人間になれないよ…とも思うものの「これは性別に限らず誰にとっても理想の人間像に近いんじゃないか」というしをんさんの意見には頷ける。
さらに「女性が多分多くの男性から求められるであろうこと(=家事や育児を完璧にこなし、笑顔をたやさず、いつも美しく、相手を立てる、など)は、いざ自分が求められるとすれば性別に関わらず多くの人が「けっ」と思うようなことなんじゃないか」という意見にも納得してしまった。
美男にも美女にもなれそうにないが、どっちかを目指すとしたら美男を目指す方が格段に気持ちよさそうだな。
私はタクシーに乗る機会がほとんどないのだけど、しをんさんのタクシーの運転手さんのビックリエピソードが面白かった。
こんな運転手さんに私も出くわしてみたいと思うような人ばかり。
タクシー運転手に面白い人が多いのは「彼らが過剰な熱さと一家言を胸に、毎日街をひた走っているからかもしれない」としをんさんは分析する。
私も、過剰な人って好きだな。