There's a place where I can go

ツイッター @hyokofuji ミサ

【本】結婚帝国女の岐れ道

『結婚帝国女の岐れ道』信田さよ子 上野千鶴子講談社) 

カウンセラーの信田さんと社会学者の上野さんの対談。対談形式の本でこんなに深い内容のものが作れるのかと驚いた。結婚、恋愛、家族などについて丁寧に考えてみたい人にオススメ。考えるきっかけになるポイントが専門書数冊分詰まっている感じでお得だし、一度読むだけではもったいなくて、再読して自分の考えを整理して友達と話したり、関連本をもっと読んだりしたくなってしまう。 

ただ、今自分が持っている価値観を絶対的なものとして保証してくれる本を探したい人には不評だろうなぁと思った。自分の価値観なんて相対的なものにすぎず、それを正当化してくれる理論なんてどこにもないんだという前提に立たないとこういう話はできない。 

自分の価値観というのは絶対的に正しかったり正しくなかったりするものではなく、自分が生きていく上でそれが役に立つ限り正しいとされるものだと私は考えているので、自分の価値観の正しさを他人にも認めさせようとするのはおかしな話だと思うのだけど、自分の価値観をイチイチ正当化しようとする人の気持ちは理解できる。というのも、自分を支えてくれる価値観が有用であるためにはそれを他人にも認めてもらう必要があるからだ。自分ひとりが正しいと思っているものをそうと知りながら正しいものとして扱うのは無理な話なので、どうしても他人を巻き込みたくなってしまうのだろう。「真理は二人から始まる」とはよく言ったもので、自分以外のすべての人がよしとしないものは「真理」になってくれないのだ。 

特に結婚のように「これが理想的だ」と言える唯一のモデルが存在しない上に、社会的によしとされているものを手に入れていないと敗北しているかのように感じさせられるものについては、どういう態度を取ればいいのか悩んでしまう。「社会的によしとされている価値観なんてなんぼのもんじゃい」と上野さんみたいに割り切れれば楽なのだけど、私はなかなかそうもいかない。私の場合、「社会的によしとされているもの」に対してとてもじゃないけど我慢できないと思うことがよくあるのだけど、その反面「社会的によしとされているもの」がほとんど無意識に自分の価値観の一部として刷り込まれている部分もあって、自分の価値観というのは社会的な価値観から独立したものでは決してないよなぁと思い知らされてしまう。 

こういう本を読んだところで「こういう生き方が女の生き方として正解です」なんて教えてくれるわけでもないし、「あなたの生き方は間違ってないのよ」と自分を承認してもらえるわけでもないし、読む意味がないと思う人もたくさんいるかもしれない。でも、必要な人にとっては読むと心強い気分になれる本なのではないかなと思った。 

だいたいジェンダー論なんかで議論をしているのを見ると、男性にとって都合のいい女性を理想的な女性だと言いたがる人と、そういう女性を古臭い女だとバカにしたがる人が言い合いをするというよくわからん展開になっていることが少なくなくて、それは議論する値打ちのないことだろうと思っていたので、私はジェンダー論とか女性学というものに今まで全く興味を持っていなかった。でも、友だちに教えてもらって本を読んだりしているうちに、これは考える値打ちのある面白い問題だなぁと思い始めた。自分の育った家庭における常識を世界全体の常識であるかのように勘違いして結婚相手に押し付けてしまうことがNGなのと同じように、女性であるということがどういうことかについてもそれを絶対的なものだと勘違いせずに一つ一つ丁寧に「自分が」どういう態度を取るのかを決めていきたいなぁと思った。「男だったらこうでしょ」「女だったらこうでしょ」と、それが世界中のコンセンサスを得られているものであるかのように自分や他人に押し付けてしまうのは危険だ。「古風に見えるもの」をよしとするか「進歩的に見える」ものをよしとするかという違いはたいした違いではなくて、お互い正反対の立場に立っているつもりで実は同類だったりするので、見ている私にはそれが不毛な議論だと思えたのだろう。 

誰かが「みんな」でいるうちは誰のことも信用できないと前々から思っていたけれど、自分以外のものを味方につけず自分の意見は自分の意見に過ぎないという前提に立ちながら、自分の立場をはっきりさせて、自分とは違う立場の人間のことも視野に入れるというのは大事なことだなぁと改めて思った。 
最近、興味を持ったばかりの社会学だけど、こういう姿勢で書かれている本をもっとたくさん読んで、色んな人と話してみたいなぁと思った。