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【本】生活の設計

『生活の設計』 佐川光晴 (新潮社) 

屠蓄場で働いている青年を主人公にした小説。 
私小説ではないのでエピソードなどは創作されたものだけど、作者は実際に屠蓄場で働いていて、家族構成もそのまま。 
この本が出版された2010年時点でも作者は同じところで働いていて、小説の内容とそう変わらない生活をしていたそうだ。 

もしも、私が大学時代の友だちから「屠蓄場で働いている」と報告されたら、質問するだろうことは二つ。 
まずは、牛の解体方法。 
苛酷な仕事だろうなということは想像がつくが、牛が捌かれるところなんて見た事がないから手順が想像できない。 
流れ作業で分担でやるのだろうか、熟練するまでにどれだけの期間がかかるのだろうか、とても気になる。 
小説の中でそのへんは丁寧に描写してくれているので、わかりやすかった。 
半日で百数十頭の牛を捌くと聞いて度肝を抜かれた。 
想像通り苛酷な仕事だ。 

驚いたことに、主人公は半日の仕事を終えたあと、お風呂に入って、昼食をとって、買い物をしてから家に帰って、洗濯物を取り込んで畳み、ちょっと休憩してから子どもを保育園に迎えに行く。 
子どもと公園で遊んで、夕食を作って、奥さんと子どもと三人で夕食だ。 
「すごい体力だな」と感心してしまったのだけど、主人公は「屠蓄場での仕事は自分の体に合っている」と言う。 
汗かきで冷え性の彼は、汗をかいた後にクーラーのかかった部屋で体を冷やすと激しくお腹を壊してしまう。 
そのため、サラリーマン生活は苦痛だったらしい。 
色んな悩みがあるもんだな。 
さらに、共働き家庭の彼にとって、半日で仕事を済ませて家事ができるというのは大きな利点だ。 

生活自体は上手くいっていて何の問題もないんだろうけど、気になることがもう一つ。 
これが私が質問するだろうことの二つ目なのだけど、職業差別を受けることはないのだろうか。 
小説の中でも主人公が屠蓄場で働き始めたと報告した時の周りの反応を描写するところが話の中心になっている。 
話の中心にはなっているものの、テーマではないところが面白い。 
差別や偏見と戦うという話ではなくて「職業選択の理由」というのが主なテーマだ。 
例えば職業を聞かれて「会社員」と答えた時に「何で会社員になろうと思ったの?」という質問をぶつけられることはあまりない。 
ほとんどの人は自分の職業についてその職業を選んだ理由を聞かれることはめったにないだろうし、聞かれても適当に答えれば済んでしまうだろう。 
それが主人公の場合はそうはいかない。 
作中で主人公が屠蓄場で働き始めたと知った人たちはみな、彼の職業選択に特別な理由があると推測して、その理由を聞きたがる。 
そこで彼が「汗かきだから」「共働きだから」と理由を説明しても誰も納得してくれない。 
実は主人公自身もこの理由で100パーセント納得しているわけでもないので、周りの反応をきっかけにして、自分がどうして屠蓄場で働こうと思ったのかを自問し始める。 

彼の思考回路がやけに合理的なのが面白い。 
直感とか体の欲求に従った選択はだいたい間違いじゃないような気がするし、合理的判断に基づいた選択は選択した本人を不安にさせにくいので、彼が堂々としているように見えるのは当然なのだけど、その彼の態度が周りの不興をかってしまう。 
特に彼に向かって「社会派気取りか!」みたいなことを言って絡んでくる友人は自己肯定に他人を巻き込んじゃうタイプなので、話が完全に平行線。 
自己肯定に他人を巻き込むのは自分を肯定できていない証拠だからなぁ。 
自分の選択を「これでよし」と確信している人は他人から自分の選択を支持してもらう必要がないので、自分の選択を正当化するための言葉をもっていない。 
自分の選択に対する肯定感は論じることによって得られるのではなく、実際にやってみること続けてみることでしか得られないものだと主人公は考えているようだ。 
そんな人間に向かって「はたから見ておかしな事をしているくせに自信満々でいられる根拠をここに出してみろ」という趣旨の発言をぶつけたところで何もでてくるはずがない。 
主人公と友人の対比が面白かった。 

もう一つ面白かったのは、主人公が「自分が屠蓄場で働くことを周りがどう捉えるのか」ということを意識し始めるところだ。 
奥さんの両親との関係が微妙にギクシャクしたりすることを、偏見を取り除こうと働きかけたりせずに、ただ事実として受け止めているところが愉快だった。