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ツイッター @hyokofuji ミサ

【映画】小三治

小三治』 2009年 日本

映画館で観たのだけれどもちろんDVDも買ってしまった。私の大好きな柳家小三治さんのドキュメンタリー映画だ。鈴本演芸場での公演や各地での独演会、弟子の真打昇進を発表する舞台、プライベートな旅行など、盛りだくさんの内容。

とことん真面目で、緻密で、それでいて大らかさもあって、そんな小三治さんの落語の魅力はもちろん、小三治さんという人の魅力も存分に伝わってくる。

小三治さんの入浴シーンもあるよ!!

小三治さんの落語の魅力については、鈴本演芸場の支配人が見事に説明してくれているので、私がここで説明を加える必要はほとんどないと思う。大家と店子を演じ分ける小三治さんの姿をはさみながら支配人の説明を聞くと、小三治さんの落語をこの映画で初めて見る人でも「なるほど」と思えるようになっている。

落語では右を向いたり左を向いたりすることで人物を演じ分ける。向きを変えて表情や声色を作って喋り方を変えることで誰を演じているのかわかるようにする。だけど小三治さんの場合「表情を作ったり言葉遣いを変えたりする前に、何もしないうちに、もうその人になってしまっている」と支配人は言う。

その通りだ。小三治さんの落語を見ていると、ちょっと首をふったかと思うともう空気がガラっと変わっていて、表情を作るより前に顔つきが変わってしまっている。動きはほとんどないのだけれど、小三治さんの顔を見ているだけで私の頭の中で何人もの登場人物がリアルに動き出す。

映画から少し話が離れてしまうけど、2010年4月10日に神戸で開かれた柳家小三治独演会に行ってきた。

演目は『長屋の花見』と『品川心中』。

長屋の花見』を見ている時は座布団の上に小三治さんが座っているだけなのに長屋のみんながワイワイ騒いでいる様子が目に浮かんで感動しっぱなしだった。特に毛氈に見立てたむしろを持った二人がよその花見客の卵焼きを羨ましそうに見ているところが心に残った。

見栄張りの大家さんがむしろを持った二人に「毛氈持ってこーい」と声を掛けるのだけど、二人は自分たちが持っているむしろが毛氈に見立てられていることも忘れて、自分たちが卵焼きに見立てる予定の漬物のことも忘れて、ただただ他人の卵焼きに目を奪われてその場から動けなくなっている。一番好きなシーンだ。

「貧乏に負けず」という気概もなければ「貧乏を受け入れて」という達観もない。事態を変えようとせず、自分のものの見方を変えようともしない。自分の置かれた状況の中に腰を据えて、自由に心を動かしている人たちが、本人たちが他人を羨ましがっているにも関わらず、ちっとも《かわいそうな人たち》に見えない。長屋の人たちをこんな風に見せてしまうところに小三治さんの魅力を感じた。

映画の中で立川志の輔さんが話していたことが興味深かった。

古典落語は先人たちが足したり削ったりして台本が完璧な状態に整えられている。そこにオリジナリティを加えるのは難しいし、そのままやって面白くないはずがない。それなのに『この人じゃなきゃダメ』ってのが出てきてしまう。そこが怖い」

私は小三治さんの『初天神』を偶然テレビで見たのがきっかけで小三治ファンになったのだけど、そこから「落語が好き」っていうところにはなかなか広がっていかなかった。他の人の落語も聴いてみたけれど、やっぱり小三治さんじゃなきゃダメだった。どうしてなのかなってずっと考えていたのだけれど、志の輔さんが「自分の尊敬する落語家たちはみんな落語と格闘している」と言っているのを聞いて、ちょっとわかるような気がしてきた。魅力的な噺家は世の中にたくさんいて、それぞれ志の輔さんの言うように「古典落語の台本と格闘している」のだろうけど、その闘い方によって聞く側の好き嫌いが出てくるのかもしれない。

小三治さんが師匠から稽古をつけてもらう時の話をしているのを聞いて、私が小三治さんに惹かれるわけが少しずつわかってきた。師匠に身振りの付け方を聞く時に「こういう時の形はどうしたらいいですかね?」なんて聞いてみると「そいつの身になって考えろ」と言われてしまうそうだ。その話を聞いた時に吹き出してしまった。

「噺なんだから。動作なんかどうでもいい。心なんだから」と師匠は考えていたそうだ。

この話から窺えるような姿勢で落語と向き合ってきたから、小三治さんの落語は小三治さんにしかできないものになっているんだろうなって思った。登場人物たちの感情を表現するために自分が噺を盛り上げていくのではなく、自分の中に登場人物たちが生きていて、彼らがそれぞれの場面で自然に表に出てくる感じ。

私はそんな小三治さんの落語が大好きなんだけど、小三治さんは師匠から「お前の噺は面白くない」と言われ続けてきたそうだ。本人も「自分は落語家に向いていない」なんて言うけれど、「面白くない」と師匠に言われ続けながらそれでも落語と格闘し続けてきた小三治さんは噺家以外の何者にもならない人だったんじゃないかなって思う。

小三治さんが落語と出会ったのは中学三年の時。初めて「へー。世の中にはこんなおっもしれぇもんがあるんだ」と思って食いついてしまったそうだ。中三の時の小三治さんが落語に出会ってくれて本当によかったと私は思う。

落語に魅せられる前は歌が好きだった小三治さん。その話をする時に「オートバイでもなきゃ、ハチミツでもない。その前は歌だよ」と言って会場の笑いを誘っていた。小三治さんは多趣味で有名なのだ。

歌も趣味って言いながら先生についてレッスンをしていて、かなり本格的。神戸であった独演会でも、まくらで「トゥーランドット」をちょっとだけ歌ってくれた。小三治さんの歌声の素晴らしさに呆然としながら「そうだ、趣味っていうのは憂さ晴らしや暇つぶしの道具なんかじゃないんだ!」って感激して、噺が始まる前から泣きそうになってしまった。

映画の中で小三治さんは「芸は人なり」と言う。「そのためにスキーをやったりね」と冗談めかして言う小三治さんだけど、小三治さんが趣味に対する時の姿勢にははっきりと小三治さんらしさが出ている。私が小三治さんの小三治さんらしさだと思うところは簡単に言っちゃうと《「100点じゃなきゃダメだ」っていう感覚が抜けないところ》だ。本人は自分のそういうところがあまり好きではないみたいで「100点じゃなきゃダメだっていう考え方はおかしい」とさえ思っているようなんだけど、私は小三治さんのそういうところも大好き。

趣味のことがらに対してさえも全力で取り組んでしまう小三治さん。趣味の多さはまくらのネタとして役に立つだけじゃなく、落語以外の世界にも開いているという態度を落語に反映させるためにどうしても必要なことなんだろうと思う。自分以外の人間の感覚に寄り添おうとする姿勢が小三治さんの落語を素晴らしいものにしているのだ。自分には厳しいんだけど他人には温かい目を向けることができる。そんな小三治さんの人柄が好きだからこそ、小三治さんの落語も好きになってしまうのだろう。「芸は人なり」っていうのはその通りだ。

入船亭扇橋さんとのコンビもすごくよかった。二人は修業時代からの親友で、一緒に温泉に行くところが映画でも出てくるのだけど「『二人でどっか温泉行こうね』って言ってたんだよね」と言うところや、浴衣姿の小三治さんに扇橋さんが「色っぽいね」と言ったりするのがおかしかった。二人が男子小学生みたいにお風呂でふざけるところも愉快でよかった。

この映画を観て、私はますます小三治さんのことが好きになってしまったし、小三治さんを知らない人でもこれを観れば小三治さんのことが好きになっちゃうんじゃないかなって思う。オススメの一本!

ドキュメンタリー映画小三治

監督:康宇政(カン・ウジョン)